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andnalayo

それは京の都に限らず

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それは京の都に限らず

二十四節気の中で立秋ほど違和感のある節気はない。とにかく暑い。私は刻々と移り変わる四季があることに感謝しながらも、夏の暑さだけは苦手で、冷房なしでは夏を過ごせない一人である。このように言えば、あの清少納言から叱られそうだが・・。
 清少納言はどうやら酷暑を好み、夏は夏らしくあるのがよく、それでこそ季節の本当の豊かさや美しさを感じられると言い放っている。唐突に彼女を想い浮かんだわけではないが、四季の情景美を歓喜をもって迎え、その良さや面白みを捉える『枕草子』は四季そのものを意識化させる意味で今なお有効な古典だと言える。清少納言は夏をどう捉えていたのか、久し振りに紐解いてみるのも面白いものだ。もちろん、表現的技法など論じる必要はなく、素直な心で読めばいい。
「夏は、夜。月のころはさらなり。やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」
 懐かしい文言ではないだろうか。一段にある「夏」の描写はまさに終えたばかりの大暑期間の頃である。「夏は、夜」と言い切る清少納言の心情は容易に理解できると思う。京の都の夏は酷暑というべきむし暑さであり、その地形から昼夜の気温差が大きい。今日は15度も差があるようだ。しかし、それは京の都に限らず、温暖化により夏の平均気温が高くなった今日の日本列島において、昼間の暑さからの解放感、清涼感が得られる夜をひとしおに心待つのは誰もが同じである。清少納言には、そのような時、月や飛び交う蛍、雨などに視覚の美を発見し、猛暑ゆえに招来される美の様相を享受して、それらを称揚しようとする姿勢が見受けられる。
 夏の夜になると水割りが恋しくなり、黄金に輝いた氷の躍るグラスに夏の美を感じる私は、もっと野面に夏の美を求める意識を持たなくてはと改心するばかりである。(つづく)
 今、我が家の庭に咲いている花の中から・・
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